梁塵秘抄と古楽
2006/11/23
「梁塵秘抄」は読んだことありますか?時代も世界も違いますが、ルネッサンスやバロック期の音楽と共通するものを感じたのであえて記事にしました。
「梁塵秘抄」平安時代末期のころの俗謡(「今様」といわれた)を、後白河法皇が編纂した歌曲集ですね。当時は楽譜が整備されていたわけでもなく、雅楽などの大陸伝来の宮廷音楽はともかくとして、メロディーやハーモニーなどを表記する方法はなかったようですから、今に残るのは歌詞としての文章だけ。もっとも、今様の伴奏はもっぱら鼓を使ったと思われる記述も残っているので、笙、篳篥、琴、琵琶のたぐいはあまり使われず、手拍子や鼓などで拍子をとりながら歌詞を詠唱する、という風情だったのかもしれません。
中でも有名なのは次の歌です。「あぁ、あれか」と思われる方も多いでしょう。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ
なにしろ古いものですから、解釈もわかれるようですが、大意としては「無心に遊ぶ子供たちの声を聞いていると自分の身体も自然と動き出してくるようだ」という趣旨でしょうか。この「自分」をどういう立場に想定するか。また「遊び」をどう読むか、などで意見がわかれるようですけれども。
もう一つ有名な、デートをすっぽかされてつく悪態の歌。
我を頼めて来ぬ男
角三つ生えたる鬼になれ さて人に疎まれよ
霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ
池の浮き草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け
デートをすっぽかしやがったバカヤロウ
角が三つも生えた鬼になっちまえ みんなから毛嫌いされるがいい
霜と雪と霰が降る水田に立つ鳥になっちまえ 足がこごえて辛い思いをしろ
湖に浮かぶ根無し草になっちまえ あっちでこづかれ、こっちでこづかれ、宿無しになっちまえ
*以上、野村意訳です。学術背景はないので文責はとれません! (^^;;
きちんとした解説は後述する先賢の皆様の本でご参照ください。
あ、そうだ。なんでそれが「古楽」?ですよね。
古楽が、音楽が大量消費時代に入る(モーツァルト、ベートーベン以降)より前、すぐれて個人的な環境で楽しまれていたのと同じように、歌う人間の生身の身体が感じられるような気がするのです。日本の文学でいう和歌が洗練された形式にのっとって鑑賞されることを想定した「知」で構成された表現形式であるのと対照的に、「情」を直接ぶつけてくる。その意味では「いのり」「呪」と同族かもしれません。
源平争乱のさなかにあって身分は人の世の最高位だった後白河法皇が、自分で愛唱もし(歌いすぎて喉を三度もつぶしたそうです)、編纂までした梁塵秘抄。この法皇もどういう人だったんでしょうかね。
o(^-^)o ワクワク
私も全部目をとおしたわけではありませんが西郷信綱さんの著述が(昔の出版なので読みにくいと思う方もいらっしゃるかもしれませんが)楽しめました。
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梁塵秘抄、ご推察どおりの範囲にて端々を口ずさんだことがあります。
7・5調の文言はそのリズムでもはや日本人にとっては「歌」でありましょう。しかし歌の元(はじめ?)と言われる僧の声明や、和歌を読み上げる朗々とした調子よりも、今様に見られる韻を踏んだリズム感の方に「ノリ」を感じます。
平安貴族は暇をもてあましてお香などをひねくりまわしてたのだろう、と思いますがこの「霜雪霰降る水田」の地べた感覚を取り上げるセンスに驚きます。ま、今上天皇も「お田植え式」みたいなことをなさってますから、後白河さんだって苗の1本2本植えたことはあるかもしれないけど、なんや不思議なお方ですねぇ
桃山時代の、小袖と頭巾の女性が歌ってそうな歌だなぁと思いました。