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ズッカーマン社の歴史

2006/02/08

【ズッカーマン社の創業と最初のキットの販売】
ズッカーマン社は1950年ごろにウォルフガング・ズッカーマンが始めました。最初はニュージャージー州ホボケンにありましたが後にニューヨーク市に移転。当初は完成品のハープシコードの製造と販売を想定していました。少したつと彼の製作ペース以上の注文が来るようになりました。言い伝えによると、特別に気の短いお客様が、注文したハープシコードをその場でよこせ、と要求したそうです。ズッカーマンは、彼の手は二本しかないのですぐに組み立てはできないがパーツは全て加工済みで組み立てを待つばかりになっていると説明しました。彼が、お客様ご本人が組み立ててみてはどうかと提案したところそのお客は二つ返事でパーツを持って帰りました。こうして最初のズッカーマンの組み立てキットが生まれたのです。最初の5フィートのモデルは大成功でした。このオリジナルのキットは、図面と鍵盤、それに普通は手に入りにくい特殊なパーツなどでたった150ドルしかしませんでした。ケース用のほかの材料はお客様の地元の製材所で切り出してもらうのです。これらの初期の楽器の外装は通常はウォールナット合板を使っていました。
この5フィートモデルは、今日ではハープシコード製造に新規参入した人たちからは冷笑されることがありますが、歴史的にみて20世紀の古楽復興に大きな推進力になったことは間違いありません。アメリカ合衆国の各州の主要都市には必ずと言ってよいほどこの5フィートモデルを見ることができますし、海外でも各地で見受けられます。多くの古楽グループがこの「Z-box」をコンティヌオに使って結成されたのです。
5フィートモデルは、歴史的な見地からは不正確な設計でしたが、サウンドとしては非常によい音をしていました。この楽器はベントサイドの代わりにウォールナットの平たい厚板が使われているのですぐに見分けられます。外装の設計はフレミッシュよりはイタリアンに近いのですが、他のどの歴史的ハープシコードよりもがっしりと作られています。

【デヴィッド・J・ウェイとの出会い】
初期の顧客の中にデヴィッド・J・ウェイという人が居ました。ウェイはニューヨークの才気あふれる出版者でしたが、20世紀にハープシコードを作るという想いに心を奪われてしまいました。ウェイはズッカーマン氏に「The Modern Harpsichord」というタイトルの本を書くように委託し、出版しました。こうして二人の協力関係が始まり、1970年にウェイはズッカーマンから会社を買い取って、間もなくコネチカット州のストニントンに引越しました。

【ウェイの探究】
ウェイの最初のプロジェクトは5フィートモデルの設計をやりなおすことでした。新しい6フィートモデルは、5フィートモデルに比べて低音域が改良された上に、8フィートの弦だけでなく4フィートの弦/レジスターも付け加えられました。しかし、ウェイはすぐにこのモデルが歴史的なデザインに基づいていないことが決定的な限界になっていると気づきました。
彼は20年間にわたる探究の旅を始めました。この間に彼は世界中の古楽器のコレクションを尋ね、オリジナルの楽器を研究してまわったのです。彼は以前からあったズッカーマンの古いモデルと製造法はすべて廃止し、まったくの白紙状態から、歴史的な資料にもとづいてヨーロッパの主要な地域別のモデルを作りはじめました。フレミッシュ、フレンチ、イタリアン、ジャーマンといった現在私たちが作っているモデルは、1994年に彼が亡くなるまでの真摯な努力と彼に協力した多くの製図職人、美術家、木工職人、機械工たちへのリーダーシップの成果と言えるでしょう。
以前は、ズッカーマン社全体として「エージェント」と呼ばれた、技術レベルも嗜好もさまざまな個人の製作家たちを含んでいました。今日ある個人のハープシコード製作家の多くが、ズッカーマンのキットを組み立て、自作としてサインして彼等の顧客に販売することから始まりました。ウェイが弊社を導いてきた25年の長きにわたって、彼はこれらの個人製作家たちとの実り多い交信を通じて彼等を育成してきたのです。
この時期のウェイの弟子の一人にパリのマーク・デュコルネが居ました。彼は、ドルの価値があがりすぎてヨーロッパからの注文が減少したことの対策として、ズッカーマンデザインの楽器を欧州に供給することを主眼に1983年にパリの東の郊外にワークショップを設立しました。デュコルネとの協力関係はそれなりに難しさも含んでおり、ウェイが亡くなった時点では二つの工房は分かれるべきことが明確になってきました。

ウェイが亡くなる以前には、彼は調律と調律法についての本を書くことに熱中していました。残念ながらこの本は出版されないまま未完に終わっています。
ウェイは、ストニントンの、ことに厳しかった冬に風邪をひいた後で、工房に居るときに卒中の発作でなくなりました。
ウェイは未亡人キャサリンと娘のジェシカを残しましたが二人とも工房を引き継ぐ気はありませんでした。
デュコルネが、1983年から85年まで彼の工房で研鑽を積んだことのあるリチャード・オーバーに工房を引き継ぐことを提言し、1994年3月にオーバーがズッカーマン社のマネージメントを始めました。

【現社長、リチャード・オーバー】
オーバーはコネチカット州立大で、ハープシコード、オルガン及びフルートで音楽の修士号を収めています。彼は1997年にキャサリン未亡人から正式に会社を買い取りました。彼が社長になってからは、現行モデルの設計や製作マニュアルの改良に努め、さらにオリジナルモデルに基づいた新しいモデルの導入などに努めています。マニュアルについてはアイオワ市の高名なエド・コティック博士に協力をあおいでいます。また工房の近代化にも努力し、94年以来ウエブサイトも開設しました。彼の広い視野と改良に努める真摯な姿勢が、今後もより多くのお客様にハープシコードを作り、演奏する楽しみを提供し続けるでしょう。

楽器は在庫があれば全て試奏可能です。まずはお気軽にお問い合わせください。

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